- 大学卒業から一つ目の会社まで
ぼくがどのような経歴を経てきたか、大学の就職活動まで遡ることにしてみよう。
ぼくには社会人として仕事をする、というイメージがなかった。
学生時代にアルバイトはしていたし、身近な社会人のお手本である父親もいた。
父は、誰もが名前を知る大手の企業でりっぱにサラリーマンをしていた。どんどん偉くなり、名刺が何回もかわり、スーツの仕立てがよくなっていくのが子供にもわかった。
海外出張にも頻繁に行くようになり、おみやげも増えていった。年末になると、家に取引先の人がやってきてお歳暮を置いて帰った。昭和の時代の典型的なサラリーマン。ぼくら兄弟を育ててくれた。今でもぼくの誇りだ。
でも、自分がどんな仕事をしたいのか、全くイメージがわかなかった。
父のおかげでせっかく受験させてもらった企業でも、何もアピールできずに惨敗。
バブル崩壊後の就職困難期と言われた時期に、あやうく就職浪人だけは免れたものの、
ぼくは、何の覚悟も希望もなく、ただ、社会人になってしまった。
就職後、始めて入社したメーカーでは営業として配属された。
でも売り上げの殆どがリピート注文なのに営業はなにをしたらいいんだろうと、営業の役割をよく認識できなかった。先輩にも聞いてみたがあまり納得できる回答も得られなかった。当時の営業活動は、顧客先で一時間ほどゴルフの話をして、別れ際に、じゃ、今月もよろしく、というようなスタイルだった(ように当時のぼくにはみえた。)
ゴルフの話ができず、世間話で時間をつぶすのが億劫だったぼくは、しだいに喫茶店で時間をつぶすようになっていった。すぐにに営業には向いていないと判断され、地方の工場の総務課に回されることになった。
総務の仕事はそれなりに面白かった。メーカーの営業として、何の役に立つのかよくわからない製品知識を覚え、客先で世間話をするという生活に辟易していた自分にとって、簿記や社会保険といった、日本中どこの会社でも必要不可欠で、日常生活にも有用な知識を得られることは、楽しく、ワクワクできた。
数年が経過し、担当者として一通りの仕事を覚えたつもりになったぼくは、もっと大きな会社でグローバルに仕事をしてやるんだという、今ではとても考えられない無謀で浅はかな考えに取りつかれてしまった。